¡¡¡ Aqui !!!

放浪が終わっちゃったので、日本でまとめていくスタイルで確定しました。

第5章 ポルト—「何ら関係のない世代」から—

 リスボンを15時頃にバスで発ち、3時間ほど揺られて18時半にはポルトに着いた。本当はリスボンから夜行バスでセビーリャに行く予定を立てていたが、「地球の歩き方」にも載っているくらいのルートにも関わらず、なぜかネットで”Lisboa Sevilla bus”と検索してもヒットしてくれない。ヨーロッパ内をインターナショナルに走るバスを検索できるサイトで”from Lisboa”と打ち込んでも、”to Sevilla”という候補が存在しない。セビーリャからスペイン入りし、数日で南下、ジブラルタル海峡を船で渡ってモロッコに行き、シャウエンやいくつかの北岸の街で数日過ごそうと考えていたのだが。どういうことや。走っているという話だけがあって、いま現在走っているのかわからない路線に賭けてまで宿を取る勇気はなかったので、当初断念するつもりだったポルトへ行くことにした。そうと知っていれば大阪の家の近所のスペインバルで流してくれていたポルトの特集、ちゃんと見といたのにな、と苦々しく思う。

 

ポルトのバスターミナルは街外れだった。バスを降りて、とりあえず明るい方へ歩いてみた。光の差し込む方からバスが入ってきたので、そのまま道路に面していることはわかっている。コンコースがないことを不思議に思いつつ、左に曲がると、階段が15段ほど積まれていた。どうやらバスターミナルの玄関口はこちらだったらしい。貧しそうな格好のおっちゃんがその階段の中段、横軸的には少し手前寄りに腰掛けていた。右手で頭を抱え、左手のバケットを食べている。階段を覆うように建物があり、さらに階段を上りきったその奥は中庭で日が差す構造だったから、おっちゃんの後ろより光が当たる形となっていたので、顔ははっきりとは見えなかった。

階段にはバケットが細かく千切れたものが散らばっていた。バケットを食べてそのカスが落ちた、そんな風な落ち方ではなかった。故意に千切ったのだろう、おそらくハトにやったのだ。ハトって世界のどこにでもいるものなのだろうか。ちなみに、日本でよく見かける、ハトと言われて想像する彼らは、正式には「ドバト」と呼ぶそうだ。もちろんここで見たのもドバトだった。

ハトにエサをやっているように思っていたが、よく見ると、バケットだけがおっちゃんの周りに散らばっていた。なぜハトがいないのか。おっちゃんにばかり気をとられていた。視線をおっちゃんの奥に移した。

じっとりと目を動かして、階段の端まで視界に入った瞬間、目の筋肉が一気に固まった。ハトが臥していたのだ。一度、顔ごと視線を外した。ため息も出た。再びしっかりと確認した。今度は血もはっきりとわかった。

こういう迎え入れられ方をするとは思ってもみなかった。カラスについばまれたのだろうか。非常に居心地が悪い。とりあえず仏式に則り、合掌して弔っておいた。

おっちゃんが、また目に入った。

カラスか、ハトか。一体何の違いがあって、それに生まれたのだろう。自分の羽が漆黒だったとしても、ハトをついばんで笑えるやつではいたくないと思う。

 

 

翌日、路線バスにしばらく揺られて海辺へ出かけた。バスを降りて見える景色の中で、空と海とが、その青さを競い合っている。サングラスをしていない者の方が異端であるくらい日差しはきつく、スカッと晴れた空だった。空気は乾いているけれど、浜だから少し肌はじっとりとしてくる。潮風。この香りが好きだ。数日前に訪れたユーラシアの最西端、ロカ岬と違って、平穏に海を眺められる。確かに暑さは感じたが、心地よい風を浴びながら、浜とアスファルトの境の木陰の芝生に腰を下ろして、しばらく読書に耽った。

女の子は、難しいな。<*1>

 

その晩、眠りにつく前にある学友にLINEを送信した。気の置けない友人とあって雑談では多めの通知を置いてしまうし、既読がつく早さと返事の早さとはほとんど一致していない。そもそも緊急を要さないLINEの返事を急かされることも嫌なのだ。さらに時差は8時間あるので、真夜中に返事を送るのも気がひける。この晩も、そんな感じで、夕方に一度来ていたメッセージの確認を行って返事は後回しにし、寝る前に返信したのであった。スマホを寝かせて自分も寝ようとしたが、珍しく彼女から早急な返事が来た。閉じる前だった。

高槻市地震があった」まじで?うちの近所か、あるいは、じいさんとこの近所かな?
「京都でも震度5」大丈夫かなあ。

目をしばたたいた。未だにうつろな意識で、さらっと文字を見ていた。

すると、画像が届いた。

見慣れた阪急の黒い「いばらきし」の駅名看板のその後ろ、天井から吊り下げられていた車種と行き先案内の白縁の電光掲示板が、その支柱の片方が完全に外れたせいで、人の目の高さにまで落ちてきている。

目を疑った。今度ははっきりとした意識で、じっくり文字を読んだ。

いったい、どういう写真なんや?茨木の街で、何が起きた?

ポルトでは、6月18日になったばかりだった。茨木では朝の8時を過ぎたくらいだ。17日の間は、横になって半目でスマホを触っていた。18日になってすぐも、まだそうだったはずだ。いま、あぐらをかいていた。外からシャワーの音が響いている。組んだ腕の下で、鼓動が感じられた。深呼吸を繰り返しても収まる気配はない。W杯の再放送で盛り上がる声も聞こえる。

そして、意識がはっきりするにつれて、再び、思い知らされたことがあった。ああ、ぼくにはどうしようもないんやなあ。家族の無事を確認して、現状最も悪くない気分になったところで、寝ることにした。フィリップさん<*2>は元気だろうかと、ふと思った。

 

翌朝、8時頃に目が覚めた。日本では16時くらいのことである。発生から8時間も経過していたので、被害の大枠も掴めてきた。震源地は本当に近く、家の中の被害も大きかったようだ。小学校入学以来未だに使い続けている勉強机の本立てや、その頭上の収納スペースに立てていた教科書、ノート、クリアファイル等はすべて床に落ちて山ができており、それはまるでアメリカンフットボールでラン攻撃が不発に終わった際に、両軍のラインマンが折り重なっているような光景だった。落下物は親が段ボールに詰めておいてくれるらしく、本棚がなくて床に平積みになっている本の置き場所が期せずしてできてしまったなあと気楽なことを思った。そして、大きくため息をついた。

 

街を散策し、晩御飯を食べ終えてから、近くのコインランドリーへ出かけた。自らの衣類はすべてドラムに放り込んだ。昨日の昼下がり、浜辺の木陰の芝生で読んでいた小説の続きを読むべく本をお尻のポケットから取り出した。そのとき、ポケットに引っかかって本を落としてしまい、さらに残念なことに、挟んでいたしおりは本から滑り落ちてその下敷きとなっていた。本としおりを拾って、白いベンチに座って、これまでの回想になればええなあと思いつつ、ぱらぱらっと、おもむろにページをめくった。開く窓はなく、風通りは皆無なせいで、乾燥機の空気がどうしてもこもるのか、どうにも汗が噴き出てくる。少し苛立ちながら、ようやく読みさしの部分までたどり着いた。

突如、ドアが開いた。「Hello.」アジア系のハンサムな兄ちゃんだった。「Hello.」声も渋い。
「ごめんください、どの洗濯機が使えるか教えてくれません?」
どれも中に衣類が入っていたが、1つは自分が使っていて、他の3つはすべて着いた段階でもうすでに動いていなかったので、その旨を伝えた。
「それにしてもコインランドリーって暑いよね。そうは思わない?」
「せやね、ただでさえ日焼けで体が火照ってるのに。」
「いや、ほんと、今日もサーフィンしてたんだけど、身体中どこを取っても真っ赤だよ。」
彼はドラムの中から誰かのシーツを取り出し、台に置きつつ話を続けた。
「君はどこから?ぼくは韓国からだけど。Journey?Trip?」
「ぼくは日本やで。まあJourneyなんちゃうかなあ(Umm, I think…it’s maybe Journey.)。リスボンからイスタンブールへ、これから2ヶ月かけてヨーロッパを見てまわるつもりやわ。自分は?」
「ぼくもJourneyの途中さ。」
どうりでフランクに話せるわけやわ。会話はより弾みがついた。乾燥機を一緒に使うことにした。

また、ドアが開いた。今度は背の低い、正装したおっちゃんだった。やけに大きな袋を持参しているあたり、どうにもずっと入りっぱなしのシーツの主ではなかろうか。そう思うが先か後か、彼は乾燥機にあったシーツを回収してから、洗濯機の中にあったシーツを乾燥機に放り込んで、
「これ邪魔だった?ごめんね。」

とぼくらに言った。
「すごく多いね、ホテルで働いてるの?」
「ああ、そうさ。その辺だよ。毎日こうランドリーに来てるけど、よく君たちはこんな中で待てるねえ。」
「行くあてもすることもあらへんのよ。ここなら本は読めるしネットも使えるし。暑さは、耐えるしかないけど。」
「ああ、そういうことか。ところで、君たちは兄弟かい?」
「いや、違うよ。ぼくは韓国人で、彼は日本人さ。」
「え、そうなの?仲が良さそうだから、てっきりそうだと思ってしまったよ。隣国だからかな。ま、私は引き上げたこれを持って、私を待つ仕事のもとへ帰るよ。Boa Noite.(おやすみ)」
Boa Noite.」
隣国やから、か。

 

 

洗濯も乾燥も終えた。ドアを開けて、ランドリーから出ると、伸びをしたくなった。外は涼しかった。

斜向かいにレストランがあった。ぼくらはなんとなくもう少し話していたいような、「なあなあ」な雰囲気だった。おあつらえむきな、とはこのことだろう。この幸運にあやかって、店に入った。

流れている曲は、数少ない、知っている曲だった。敷居が下がった気がした。

 

ビールとフライドポテトを注文した。乾杯して、たわいのない話をした。ちらっとテレビを見ると、トランプ大統領の姿が見えた。ニュースの内容はわからないんだけど。

1週間前に、米朝首脳会談が行われている。トランプが直前になって反故にしようとしていたなあ。分断の流れを感じられる今日とあって、ある意味でのそれへの逆流となれば、と期待していた。緊張の、分断の緩和が促進される可能性が見えているのなら、開いてほしいと思っていたし、結局実際に開かれたのは、まず喜ばしいのではないか。

 

現代を考えるうえで、歴史は欠かせない。朝鮮半島の歴史には、いやしくも日本の影響は計り知れない。——隣国だから。
「なあ、ジヒョン。」苗字の方が呼びやすければそっちでもいいよ、と言われていたけれど、なんとなく名前で呼びかけたかった。「ええっと……」
「はいよ、フライドポテトだよ!」
次の言葉を探している隙に、店員の兄ちゃんに差し出された。少し、ほっとした。語学の問題ではなかった。だから、少し自らを嘲笑った。ぼくに相反するぼくを嘲った。小田実<*3>の精神はどこへいったのか。もっとも、父からもらったその本は、父が幾度も読み返したのか、年季が入っていたぶん、読んでいる最中にばらけて読めなくなって、結局3割くらいしか読めず仕舞いとなったが。

木製のカウンターに置かれたビールを一口飲んだ。ジョッキには水が滴っていた。
「ああ、これ使ってよ!渡しそびれてた、ごめんね。」さっきの兄ちゃんが、カウンター越しにコースターをくれた。よく見ると、ジョッキは、足元で水で円を描いていた。

少し沈黙が続いた。ポテトに舌鼓を打っている、ようには見えない。ビールが苦かった。ひとりでに、息苦しさを感じた。
「そういえば、君は大学生だったよね?」ジヒョンが先に問いかけてくれた。
「そうやで。来年大学に帰って、スペイン史で卒業論文を書くつもりにしてる。」
「ぼくは大学卒業を目前に控えているんだ。今23歳だからね。」
「歳近いやん、ぼくは21歳やわ。」
さっきの兄ちゃんがまた目の前に現れた。ビールを注いで、ぼくの右隣に差し出した。ウェイターがそれを受け取って、どこかへ持って行った。兄ちゃんは手が空いたのか、君ら兄弟か、と聞いてきた。コインランドリーでの会話を思い返しつつ、今回はぼくがぼくらの関係を伝えた。
「ああ、そうなのか!歳も近いし、似ているからそうかと思ったのに!でも、あの辺の国々の人って、似てるよねえ。よく間違えちゃうよ。」
「まあ実際似てるよね。でも、実は、ぼくらから見れば日中韓の違いは結構分かるんだぜ。」
そら、隣国やから。きっと、ポルトガル人なら、スペイン人との違いもわかるだろう。


「よく兄弟に間違えられる日だよなあ。」
「まあ、実際、東アジア系という意味では似てるしなあ。一緒にいたら、大抵の人は同じ国の人やって思うやろ。」
「しかも歳も2つしか変わらないわけだしな。」

ジョッキはすでに空になっていた。


「そもそも、」
あれだけビールで潤した喉なのに、声は少し掠れながら出てきた。
「歴史を見ていけば、ぼくらには、兄弟のような交流があったんやから。」
「そうだよね。」

店内に響く音楽が、やけにはっきりと身に沁みる。

 

しばらく、厨房を眺めていた。
「ぼくたちの国の間には、悲しい、苦しい歴史があるよなあ。」
「ああ、かつて、日本は韓国を支配していた。ひどいこともした。それは、残念ながら、ほんまのことや。」
「とはいえ、ぼくらはいま、こうして酒を酌み交わしている。ぼくは、君に会えたことを嬉しく思っているよ。良い友人になれるんじゃないかって、思うよ。」

 

——その人、ひとりひとりの人を見ればほとんどがええやつで、素敵なやつばっかしやがな。いちいちあそこが嫌いやなんやっちゅうのは、政治のややこしいことをそこに絡ませるから、そうなるんや。人を見ろ、人を。この国の人間やからあかん、なんて、ほんまに最低や。
お世話になっている方の顔とともに、この言葉が不意に蘇った。大学の近所にある、そのおっちゃん(この表現がしっくり来るのだ)の持つバーで、おっちゃんから聞いた言葉だった。

本当に、そうだと思った。

 

——そして、いま、本当に、そうだと感じる。
「ぼくたち、日本がしてしまったことは、その事実は絶対に変わらへん。それについては、ほんっまに、あかんことをしたと思う。」
そして、これは僕から言える義理ではないかもしれないけど——
「それでも、いち人間同士で、友人になれてること。ぼくはもう友人や思ってる。こんな感じで、まず、普通に友人になっていって、その先に、その歴史を包括した、新しくて深い、本当に信頼し合える、国同士であえたらなあ、なんて。」
次の言葉がすんなり出て来ない。そこで、日本語と英語との両輪でものを考えていたことに気がついた。言いたいことはわかっている、けれど、言いたい言葉がわからない。なんだか暑い。酔いが回ってきたのかな。ショート寸前、大きく頷いて、ジヒョンが口を開いた。
「ぼくも、それくらいに良好な関係を結べたらって、思うんだ。」
シンプルな言葉だった。母語じゃない同士、そもそも百パーセントのコミュニケーションなんてできない。できない?——言葉だけが、ものを伝えるわけじゃあない。
「そう思ってるんなら、ぼくらで作っていこ。」
「そうだね。まずはここからだ。」

 

ここからは、何を話したかあまり記憶にない。

ただ、目頭の熱さ、体の火照り。それらの感覚は、冷たいシャワーを浴びても流れなかった。

 

 

 

 

_注_

*1女の子は、難しい:この時読んでいたのは、重松清「一人っ子同盟」。この女の子とは「ハム子」という主人公につっけんどんな態度を取りつつも、なんだかんだで優しいヒロインの子。

*2フィリップさん:バレンシアにてビールをおごってくれたおっちゃん。第3章にて詳述。

*3小田実の精神:作家・小田実の著作のタイトル、「なんでも見てやろう」という気持ちのこと。出国前に父に渡され、この本を携えて放浪していたが、2割程度の部分までしか読めていない段階で文庫本のページがばらばらになってしまい、読めなくなった。ちなみに、父には報告していないので、父はこのことをおそらく知らない。