¡¡¡ Aqui !!!

放浪が終わっちゃったので、日本でまとめていくスタイルで確定しました。

第3章:バレンシア—病み上がりの夜中に—

グラナダを出てから帰国まで。今回は普通に時系列で書いています。

前半は単なる体調不良の地獄の記録です。正直ふざけて書いてたら間延びしちゃったので最初から2000字ほどは適当に流し読みしてください(笑。

後半は、フィリピン出身のおっちゃんに出会ったくだりです。

たった2週間とわずかな期間の旅でしたが、一応ここがひとつの区切りですし、大げさに言えば第1部終了の章ってとこでしょう。では、どうぞ。

 

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グラナダでは3日間過ごしたのち、次に向かうはバレンシアグラナダバレンシア間は1回で移動するには少し長すぎると感じたため、アリカンテで1泊を挟み、バレンシアへ。バレンシア近郊のアルコイという小さな村で開かれる中世レコンキスタ期の戦いを再現した祭りを観覧しに行く拠点としたかったのだ。

 

卒論の内容は中世スペインに関することで書きたいので、旅の序盤のハイライトになるかなあと思っていた。しかし、アリカンテ行きのバスに乗った段階で、どうも調子がおかしいことを察し始めていた。アリカンテに着いた時には熱っぽさも増し、体も重い。ただ非常にラッキーなことに、今日の宿はシングルルームだ。さっさと宿へ向かおう。そんなことを考えつつ荷物を背負いながらしばらく歩いていたのだが、どうにも宿が見つからない。これはいわゆる迷子だ。なにも今日でなくても、とは思ったが、泣きごとを言っている余裕すらない。とにかく大学で培われたなけなしのスペイン語力と折れないめげないAguilalismoを武器に片っ端から道を尋ねまわった。しかし、ここでひとつ、失念していたことがあった。ここはスペイン、人はいいが結構適当だ。迷いは深みに至り、適当にバルに入る。地図はなんとなく記憶していて、終盤の道はわかっているのだが、という状況。道を聞いてみると、ああ近所だよ、という反応のあと、気のいいおっちゃんが指折り数を数えながら何本目で左、という形で教えてくれた。バルなのでビール1杯飲んで、ようやく宿へ。なんかクラクラするけど、お酒いれたしなあ。そのまま意識は消えていった。

 

翌朝、頭痛のひどさで目が覚めてしまった。朝8時、腹の減り具合的には朝食に行きたいがどうにも動く元気がわかない。仕方がないのでもうしばらく寝直した。起きると服がびしょ濡れでシャワーでも浴びたのかと言いたくなるくらいの汗だった。どうやらこれは本格的に体調を崩したようだ。10時半、朝食を取りにグランドフロアまで下りたが、なんと指定の時間を過ぎていたらしい。いや、聞いてねえよ。しんどいながら下りた労力を返せ。その程度のことにぶちギレそうになってしまうくらい虫の居所が悪く、そしてそうならざるを得ないくらいには体調の悪さが深刻になっていた。なんとかバスターミナルまで着いたが、もうなにもする気になれない。コインロッカーの使い方もわからないし、係員の説明も語学力の問題じゃなく理解できないし、きっと係員には大変不快な気持ちにさせるくらいには苛立った表情をしていたと思う。われながらなんと情けなく自分勝手なこと、非常に申し訳なく思う。とにかく起きていたら体調の悪さに精神肉体共に悪い方に行くのでバス待ちの間ひたすら寝に寝た。そしてようやくバスの時刻になって、バスでも寝に寝た。

そんなこんなでバレンシアに到着した。ひたすら寝たおかげか、体調は多少上方修正されており、宿に到着した。シャワーで嫌な汗を流して、22時半ごろだったが、早めに寝ることにした。翌朝、すがすがしい日差しがそれとは対照的な地獄の始まりを告げるとも知らずに。

 

さて、満を持して迎えた地獄の日。4.24、行きたい、祭りの、最終日、しかし、いま、布団から、出て動ける、範囲がわずかに、トイレまでの、15メートルで、とにかく、今までに、経験したことのない、腹痛、飲んだ水分が、全て、後ろから出ていく、あの感覚、どれほどの水を飲めど、喉は、すぐに渇く、それは、しばらくすると、後ろから、排泄されていくからだ、しかし、かといって、下痢のときは、水分が、出て行くから、水を飲まねば、脱水に、陥る、そう聞いたことがある、というより、聞いていなくても、この状態、ならば、誰でも、きっと、わかる、そして、ひとたび、トイレへ、なだれこめば、少なくとも、15分は、動けなくなり、出せば、痛みは、軽くなる、という、幻想、そのもとで、長期戦に、いどめど、やつらは、腸の中で、籠城戦に、持ち込みやがる、ああ、なんという絶望、神よ、わたしが、いったい、なにを、したと、いうのか、どうして、この苦しみを、今日、今日に限って、この苦しみを、与え給うのか、ただ、祭りへ、行きたい、だけじゃ、ないか、この痛みを、明日、以降なら、謹んで、お受け、し奉る、ものを、なにより、不幸にも、朝8時に、健康的に、早起き、できたことが、こんな、不健康との、戦いを、幾度となく、繰り返させる、なんと皮肉なことだ。唯一の救いは、前日に宿から徒歩1分の距離に薬局があることを自分の目で確認できていたことだ。なけなしのスペイン語力も鍛え上げたAguralismoもこの体調では運用する余裕もない。できる限り避けたいと思っていた、Google翻訳を、これはもう、動員するしかない。ネットで自分の病状を検索し、それっぽい答えを見つけ、それに対する薬を日本語で発見し、スペイン語に当てはめる。それをスクリーンショットで保存し、なんとか薬局まですべりこみ、画面を見せた。薬局のお姉さんが英語で説明してくれるものを、なんとか理解したが、ありがたいことに説明後にメモ書きもくれた。薬の効果もあいまって、午後10時にはかなり楽になった。翌日にはある程度動けるようにもなったが、大事をとってこの一日電話したり本を読んだりとのんびり過ごした。

 

 

そしてこの日の晩9時ごろ、晩御飯も食べたのでもう布団に入ろうかと部屋に戻ると、マレー系のおっちゃんがちょうど到着したところだったようだ。とりあえず挨拶だけを済ませて、二段の上のベッドで横になったが、なにかを取り出そうと再び床へ降りたときに、おっちゃんも荷物の整理を終えていたらしく、隣の二段の下のベッドから声が掛かった。おっちゃんの名を聞き取れない痛恨のミスを犯したので、フィリップ(仮名)としよう。フィリップさんは40代半ば、30歳ころから10年ほどフィンランドで過ごして、これからスペインへの移住を考えており、バルセロナバレンシア等5つの都市を順に回ってどこにするかを決めているところらしい。そういった自己紹介を一通り終えたのち、今度はぼくのことを聞くべく、質問をした。

「きみはいくつ?」

「21です、今は休んでいますが大学生です」

「それは若いね。専攻はなにを?」

「歴史です、西洋、中世スペイン史です」

「その理由はどういうものなんだい?」

日本では相手によっては答えることを憚りたくなる質問なのだが、一期一会的でのちに尾をひくことも考えられないので、思っていることを答えた。

「日本の書店へ行くと、ここ最近近隣国を含めヘイトを生み出しうる本を目にする機会が増えているように感じます。社会的にもそういう面があります。なんというか、人種や民族、そういう違いがあることは事実で、ルーツの違いが互いへの負の感情の引き金になるのもわからなくはない。だが、だからといってそういうのもひっくるめて、うまく付き合っていく方法はないものか、と。また、世界ではそれらに加え、さらに宗教的対立からも戦争や紛争、悲惨な事柄に発展した事例があって。そういう問題とスペインを絡めて考えた時、ムスリムの支配の開始からレコンキスタが終わるまで、ユダヤ教徒も含め少なくとも3つの異なる宗教をそれぞれ信仰している人たちがいた。そこで彼らがどういう生活を送り、どういう形で互いに関係を築き影響を与えていたのかを学んで、どこか役に立つものはないかなあと、そう思ったからです」

「そういう理由だったのか。ま、このまま話してるのもいいんだけれど、ぼく、ちょっとお腹空いているんだ。一杯飲もう、飲みながら話そう」

 

体調が万全じゃないんだけどな、と思いつつ、けどフィリップさんのゆったりとした、教え諭すような口調に、このまま話を切り上げることはすごく貴重な機会を捨てることではないかと感じた。こうしてグランドフロアへ降りて、フィリップさんのおごりで一杯飲みながら話を続けることになった。どんなときでも、おごりのビールは、うまい。それも、スペインビールなら、一層なおのことだ。

 

「君がそれを選んだ、その理由はよくわかったよ」

改めてうなずき、うまそうにビールを味わいつつ、続ける。

「じゃあ君は歴史を勉強して、どうしたい、どんな仕事をしたいんだ?」

顔が引きつったのが自分でもはっきりわかった。そもそも将来のキャリアに、なんてものを考えて大学になんて入ってないし。ジャーナリズムなどに憧れを持っていたりはするが、現状明らかに社会についての勉強や根本の教養がたりなさすぎて現実味が薄い。

そんなこんなで答えに困っていると、フィリップさんは

「そこまで深刻に苦い顔をされると困るなあ」

と笑いながら言って、続ける。

「まあ、とにかく社会に対してどこかすっきりしないものを持っていて、変えたいと思っているんだろう。じゃあ、いっそ政治家にでもなっちゃいなよ」

「いやあ、そこまではようしませんよ。そこまで責任を持つ気にもなれなければそもそもそんな素質も持ち合わせていませんし」

「まあ軽い冗談だよ。でも悪くない選択肢だと思うんだけどね」

と言って、ビールを一口飲む。ひとつ、ため息をついて、再び話し始める。

「社会を変えたい、良い方にかわって欲しいと思うのなら、まず自分の方も変わらないといけないことをしっかりと自覚しなさい。社会にばかり変わることを望んでいては、君にとって都合の良い社会が良い社会だと勘違いしてしまいかねない。君のなかにある社会に対するものの見方、社会に対するものの聞き方、社会に対するものの感じ取り方。これらすべてを時間をかけて変えていくことが必要なのさ。」

このとき、否定されていないのは理解できていた。そして、言いたいこともなんとなく感じることはできる。ただ、これまでに考えを変えられたなという実感を得たことがあまりないので、感覚的な理解が及ばなかった。そういうときの表情がおそらくいぶかしげで、物思いに耽ったようなものだったのか、フィリップさんは、元気出せよ、と言わんばかりに、ぼくの右肩を、2度、叩いてくれた。

「なにも落ち込むことはないさ。それに、君の今を否定してるわけじゃない。ただ、その意識を常にもっていれば、君の感覚はもっともっと研ぎ澄まされたいいものになると思う。それに君は21歳だろう?まだまだ若いじゃないか。大丈夫だよ」

 

 

そして翌朝、その日はようやくバレンシアの観光ができると喜びに満ちた起床だった。久しぶりに気持ちのいい朝だ。携帯の目覚ましよりも早く目が覚めたらしい。起きて余韻に浸ること数分。目覚ましを聞く。そのとき初めて携帯を開くと、母より一通のLINEが。祖父が肺炎で入院した、と。気づけば右手は握りこぶしをつくり、口元を隠していた。胸の高まり、ざわつき。90歳になる祖父なので覚悟はあったが、そういう問題ではなかった。

いてもたってもいられず、とにかく気を紛らわしたかった。朝食を手に取っても、病み上がりの前日の方が進んだくらいだ。xy座標にはお世話になったが、いくらその偉大な彼が言ったことでも、心身は一元的なんじゃないかと批判したくなった。

なんとかコーヒー1杯にカップケーキをひとつ食べ、とぼとぼと部屋に戻ると、フィリップさんも目を覚ましていた。どうもぼくは顔に出やすいらしく、フィリップさんが心配して声をかけてくれたので、事情を話すと慰めてくれた。

「とにかく落ち着こう。どうにもこうにもできることなんてなにひとつないんだから。ただ快方に向かうことを願うしかないさ」

自分が無敵でなんでもできると思い上がっていたわけではなかったが、こういうときに改めて無力な存在であることを確かめるんだろうな、と思った。

 

幸い、軽度で自分で救急車を呼べるくらいだったらしいとの連絡を受けたが、その前に直近ながら安くで帰国便を取れたので、この日の夕方にはバルセロナへ向かうことにした。フィリップさんには最大の感謝を告げ、宿で別れた。

バルセロナで1泊して、帰国の便に乗った。

 

丸1日近くかかる帰国の途で、今一度、フィリップさんの入っていたことを反芻する。

歴史を勉強してどういかすのか。自分が社会について考えていくひとつの視点たりうるだろう。あとはともかく、まず実際に勉強していかなければならない。

そして、変化しろ、というフィリップさんの言葉。その意味自体はわかるが、結局のところ、未だに理解はできていないと思う。あくまでそういうものなんだと「知っている」だけだ。いずれ「理解できる」日が来ることを望む。そして、それを頭のどこか片隅に、意識すべきだからこそむしろ無意識的に、いつか「理解できている」その日まで。