¡¡¡ Aqui !!!

放浪が終わっちゃったので、日本でまとめていくスタイルで確定しました。

第1章:バルセロナ—浴びるはタバコの煙と独立の風—

  そんなこんなでバルセロナでかれこれ4日過ごしていた。今、ぼくはグラナダへ向かっているところである。いやあ、特段なにがどうだったってわけじゃないのに、すごく好感を持ったなあ。観光地しか赴いていないと言えばまあその通りやけれども、そないに不便を被った記憶もなくて。強いて言うならタバコの煙をそこかしこで浴びたくらいかなあ、、、笑

 

 2日目は市場で昼から1杯やった後、カテドラルを含むゴシック地区をふらふら歩きまわって、港まで散策するなど非常に歩き回ったような。22時過ぎにはもう寝てた。ぐっすり。びっくり。3日目は朝の散歩がてらにサグラダ・ファミリアまで宿から歩き(片道20分ほど)、シエスタを取ってからモンジュイック地区へ。肝心の城へは乗るやつを間違えていけずじまい。なのでモデルニスモ建築を巡って外観を楽しみ、再びサグラダ・ファミリアへ帰還しライトアップされた姿を鑑賞。ちょっとがっかり。うーん、どうやら期待値が高すぎたみたい。あ、でも目の前の池に反射して2つになってたのは良かったかなあ。

 そして4日目の今日は昨日の失敗を生かし城までちゃんと行き、前日(カタルーニャ美術館)よりも、もっと高いところから、街を、港を、海を、眺めた。城の中では軽い歴史館的な展示もあり、スペインにもナチ関係の場所や街にハーケンクロイツの垂れ幕もあったことなど、ナチの影響が結構大きかったのだと初めて知った。まあヒトラームッソリーニの台頭した時代は内戦やフランキスモの始まった時期に重なるわけで、さほど驚きはなかったけども。そして、今、バスの中にいる。バスで騒がしい乗客に真後ろのおばあちゃんが怒りの訴えを起こし、隣の女性はもうあかんわ、みたいな顔をすれば、最終的に運転手から忠告がなされるという状況。どちらもうるせえ。カオス。乗ってからまだ45分程度、残り時間は13時間以上。あれ、これ大丈夫かしら。

 

 さて、ここまで観光地行ったくせに写真もなくつらつらと書いた785字を読んでくださった皆様。初日はどうだったのかという疑問をお持ちでないでしょうか?

 

 という大前提で今から初日の話を書いていこう。なので疑問を持っておいてくださいね。ぼくにとっては、この初日こそが、バルセロナで一番重要な1日だったと思う。もちろん、他の日にも問題意識を持つ場面はあった。2日目は観光客も多く、特に観光地の集まった地区を訪れたので、シカゴでかつて見たような、物乞いをする人々を何度も何度も見ました。さすがに大都市、やはり貧困も目にしてしまった(P.S.ちなみにグラナダにも予想通りたくさんいた)。そのうち日本の路上にも増えてくるのかなあ。日本は比較的格差が少ないから見ないのか、あるいは文化的ななにかの違いで格差自体は同次元なのか、どっちなんだろう。

 

 で、バルセロナ初日に話を戻そう。ついてきてね。ぼく自身話がどう転ぶかわかんないんだけど。バルセロナ、ひいてはカタルーニャの現状として、独立を求める熱が高まっている。もちろん、全住民が賛成というわけでもない。かといって、ほんの一部というわけでもない。

 海洋博物館にいこうと思っていたところ、最寄りの駅で降りると大量の人、それもみんな黄色の服を着て。老いも若きもなく、黄色の服を着て、ある人はカタルーニャの旗を羽織い、またある人はスローガンや訴えを書いた旗を持ち。胸に黄色のリボンをつけている人の数もとても多く、メッセージつきの缶バッジもあって。その中身としては、”LLIBERTAT PRESOS POLITÍCO!”(自由を、監獄の中の政治だ!)といった言葉がよく見られた。シャツの前面に”Sí”と、その周囲を世界の他言語で取り囲んだものもあった。これらはたくさんの人が使用していたが、他にも個人的に作成したであろうシャツも多々あったし、さまざまな方法で訴えかけていた。ぼくが一番ユニークだなあ、と思ったのは黄色の囚人服を着た女性。すごくわかりやすい。なるほど。さて、ここでじゃあなぜ黄色なのか、黄色にはどういう意味が込められているのか。おわかりですか?

 

 その答えは、参加者のおばあさんが教えてくださった中にありました。広場のデモ行進を眺めつつ、フランスパンをかじってのんびりしていると、隣に行進の途中少し休みたそうなおばあさんたちが来たので、横にずれてスペースを譲ってあげた。隣にいたおばあさんが英語で話しかけてくださったので、多少会話をしていた。すると、彼女は、

「この行進を見て、あなた、どう思う」

と明るく笑顔で、それとは裏腹に難しい質問をした。返答に困ったぼくは、

「うーん、すごく熱意を感じるますよね、えへへ」

と、はぐらかした。このままではなんかばつが悪いなと感じたぼくは、

「そういえば、皆さん黄色を着てはるけどこれどういう意味があるんですか、黄色ってカタルーニャの色なんですか」

とストレートに聞いてみた。

「黄色がカタルーニャの色?それは全然、違うわよ」

「え、ああそうなんですか、それは失礼しました」

「黄色はね、カタルーニャがスペインに抑圧されていることを象徴する色なのよ」

とおばあさんは穏やかに答えた。いや、こら知らんかったとはいえほんま失礼な間違いしてもうたなあ、と思うぼくを尻目に彼女は続けて

「私たちは、スペイン人。でも、同時に、私たちはカタルーニャ人でもあるの。彼らもそう。でも、スペイン政府は、君たちはスペイン人でしかない。そう言うのよ。カタルーニャ人であるとは認めてくれないの」

そして、これまで見たことのなかった青い三角と白抜きの星入りのカタルーニャ旗を指差し、

「あの旗はにね、私たちの理想が込められているの。青は、自由の色、でしょう?そう、あの青こそが、自由あるカタルーニャなの。」

と。近くにはスペインの公式の建物もある場所なので、本来のカタルーニャ旗はすぐに見つけることができた。なるほど、本来は黄色に赤のストライプ。

「あなたは日本人で学生さんかしら?」

「ええ、そうです」

「そうなの、いらっしゃい、こんな遠いところまで大変だったでしょう。ところで、何を学んでいるの?」

「あー、えっと、西洋史、ヨーロッパの歴史です」

「あら、歴史ね、それはいいじゃない」

「まあ、その、ありがとうございます」

あまり自信をもって西洋史と答えられないところに日頃の不勉強を悔やむ。歴史に関して深堀りされたらかなんのやけど、と思った。

「あなた、このカタルーニャは、もともとスペインとは別の国だったことは知ってる?」

「ええ、まあ一応知っています」

「そう。じゃあ中南米の国々がスペイン領だったことは?」

「もちろん知っています」

数少ない確実に知っていることなので、もちろんという言葉も口をついた。だけど、すぐに、常識中の常識を知っていることを誇らしげにした自分を恥じた。

アメリカ大陸の国々は19世紀以降にスペインから独立していったでしょう。アルゼンチン、メキシコ、ベネズエラ…そして最後にキューバ。歴史の教科書ではキューバがスペインから独立して、スペインの植民地はすべて解放された、とされているわ。だけど、私たちの国、カタルーニャは、いまだに、解放されていない。教科書は間違っている。すべて、じゃない」

ひと呼吸、間をとった。そして続けた。

「まだ、本当に、本当の意味で、すべて終わっているわけじゃあないのよ。私たちのカタルーニャが、まだ残っているじゃないの」

 

 その後は適当な話をしていたが、十分に休息もとれたようで、おばあさんたちは再び行進に参加していった。着いて早々、一番見たかった、聞きたかった話が聞けたことは本当に幸運だ。実際に五感を通して感じてみたかったんだから。彼女らとの会話を通じ、その思いは多少理解できたと思う。だけど、一体、この問題はどう進展し、どこに落とし所ができるんだろうか。彼女らの軽い足取りに、明るい未来を希望する思いを感じ取りつつも、ぼくはどこか、来る前よりも重く、すっきりしない気持ちで、ぼんやりと、他の黄色に紛れながら小さくなっていくその後ろ姿を眺めていた。

 

ーーー私たちのカタルーニャが、まだ残っているじゃないのーーー

 

この言葉が、何度もよぎる。

 

 

 

(注:おばあさんは話の流れ上キューバが最後とおっしゃっていたが、実際にはモロッコに1969年に返還した土地が最後)

 P.S. 次回はグラナダ編。

2018.4.15-18